中央区月島矯正日記

2017年08月25日

作られた縄文時代 日本文化の原像を探る

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縄文時代という言葉は、太平洋戦争前にはほとんど用いられていなかったのだという。さらに言えば、縄文時代という時代区分を称しているのは、わが国だけということである。それは当然であるが、弥生時代という時代も同様であろう。このことはすなわち、縄文・弥生という時代区分の名称が、新しい日本国の確立の為に必要だったという見方である。

縄文時代という言葉の定義としては、「日本の歴史において、狩猟・採集・漁撈による食料獲得経済を旨とし、土器や弓矢の使用、堅牢な建物の存在や貝塚の形成などから伺うことにできる高い定着性といった特長によって括ることのできる文化」ということになるそうだ。時期としては16500年前から3000年前の時代という捉えられ方がされているという。

とはいえ、その開始時期についても決着は付いていないようであるし、1万年以上にわたる長い時期を考えれば、一概にこういう時代とは決め付けられないものであったはずである。

現生人類は、それ以前のホモサピエンスとは異なり、明確に死者の埋葬ということを行っている。このことを考えても、16000年前の縄文人も、現在のわれわれとそれほど異なる死生観は持っていなかったのではないかと思われる。

縄文時代に対する見方自体も、現代社会の様相によって翻弄されてきたとも書かれている。100年、1000年経ったときの「縄文時代」は、今のわれわれが考えているものとは、まったく異なったものになっているかもしれない。

 

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