人の我慢を前提に成り立つ仕事
2025/02/21
10日ほど前から、月島矯正歯科の前の家が工事を始めた。
古家を取り壊して、新しい家を建てるということらしい。
しかし、ものを壊す音と振動で、地震かと思うほどだ。
家が傾くのではないかという心配をする。
何年か前に、隣のダイハツがビルを建て直した。
この時には、家の傾きを調べに来た。
ただ、その時にはほとんど振動は感じなかったし、騒音もそれほどではなかった。
今回、道を隔てただけの当院にはもちろんのこと、隣の家などはさらにひどい騒音と振動があるに違いない。
なんだか、いるだけで気分が悪くなってきた。
一種の船酔い状態に近い。
にもかかわらず、彼らは菓子折りの一つも持ってくるでもない。
(別にそんなものはほしくないし、それぐらいで済むほどのものとも思えない)
家を建てるんだからしょうがないだろう、というのが彼らの言い分で、なんとかしてくれといっても、馬鹿にしてまともに答えもしないだろう。
我慢をするのが当たり前だと彼らは言うに違いない。
実際、「資料」を持ってきた担当者に、うるさいから何とかならないかといったところ、にべもなく「なりません」と返してきた。
考えてみれば、他人の我慢を当然として成り立つというものは多い。
しかし、こういうものは本当に我慢するのは当たり前なのか。
当然の権利だとばかりに、騒音と振動を撒き続けるのではなくて、これを抑えるような努力をすべきではないのか。
今回の建て替えで、退去したこの家の賃借人は、こういった周辺の工事があると、飛んで出てきて文句を言っていた。
今この夫婦がいたら、なんと文句を言っただろう。
いなくなって初めて残念だと思った。