運がいいことに、日本人は日本語が理解できないので
2025/07/14
選挙前というのは、訳の分からないことで政治家を批判するという事例が生じる。
「運がいいことに能登で地震が起こった」というものはその最たるものだろう。
テレビで放送された発言は、運がいいことに、能登の住民は避難先の金沢市でも住民登録できるようになった、というものである。
それを、間に入れた「能登で地震が起こった」ことが「運のいいこと」であると曲解する人が現れた。
「運がいいことに能登で地震が起こった」なんて言ってる政治家がいまっせといわれれば、だれだってとんでもないと思うだろう。
「運のいいことにさ OOさんがんになったじゃない それで入院して手術したんだ その入院費と手術代が全部生命保険でカバーできたんだよ」といった時に、「運のいいことにがんになった」という聞き方をする人はいないだろう。
おそらくこの曲解を発明した人間は発言者本人の意図を十分に理解したうえでこのようなとんでもないことを書いたに違いない。
その心の奥底には、どうせ日本人は国語の読解力なんかないんだから、こういう曲解を曲解だなどとは理解するまいという思惑があっただろう。
実際、あの田崎史郎さんを含めて、だれもこれが曲解だとか、日本語の理解が違うとは言わない。
そうなるともうこれは言ったもん勝ちである。
徳川家康の国家安康・君臣豊楽同様、言われてしまったらそれがそうであろうとなかろうと、言われた方が悪いということになってしまうようで、発言者当人は謝罪におわれている。
この曲解を考案した人物からすれば、してやったりだろう。
しかし、この程度の国語もわからない日本人がこれほど多いのか。
そう思うと、もはや日本人は、外人排斥などと吠える前に、日本人であるための勉強をすべきではないのか、そう思うのである。