「小さい秋」でもいいからみつかってくれ
2025/09/17
「秋」という言葉には、どことなく郷愁を感じさせるところがある。
それは、夏という盛りを過ぎてしまったという、年寄りの後悔にも似たようなものか。
さらに言えば、それは「小さい秋みつけた」の歌によるところも大きいように思う。
敬老の日を過ぎても、いまだに35度という数字を見る。
日は確実に短くなりつつあり、来週は秋分の日が来る。
暑さ寒さも彼岸までといってほしいが、果たしてどうか。
このような状況で、小さくてもいいから秋は見つかるのか。
秋分の日どころか10月になっても秋は来ないのではないか。
小さい秋を見つけるということは、夏に対する郷愁というよりも、早く秋になってほしいという願望ではないか。
小さくてもいいから、秋はいつ見つかるのだろう。