越中島
2020/04/11
月島の隣に越中島がある。
榊原越中守の屋敷があったことからそう呼ばれていると出ている。
榊原康政の兄の後裔だと出ている。
こんな田舎に住んでいた「殿様」はあまり金持ちではなかったかと、通るたびに思う。
「殿様」というと、小学校のころ本郷に「阿部の殿様」という人がいた。
時代劇の殿様をイメージしたが、「今は幼稚園の園長をしてます」と言われて急にただのお爺さんのイメージになり下がった。
阿部家は備後福山藩の当主とでている。
幕末の阿部正弘もこの藩であるということからすれば、園長先生は正弘の息子ぐらいだったか。
そう思ってよく見たら、39で正弘はなくなったため、後継ぎは兄の子供ということになっている。
さらに、亡くなったのは1857年なので、1965年ごろの当主は良くても孫世代ということになろう。
正弘はとても開明的な人で、江戸幕府後のグランドデザインを描いていたと書いている人がいる。
かれが勝海舟と同じぐらいまで生きていれば、日本の形もだいぶ違っていただろう。
そうなっていたら、本郷に「阿部XX]という地名が残っていたかもしれない。