津波の教訓
2022/01/17
日曜日は朝から津波のニュースだった。
南太平洋で発生した海底火山の噴火が遠く離れた日本を揺らした。
日本に比べれば、トンガあたりの方がはるかに大きな津波が来たはずである。
現地とは連絡が取れないため、実際にはどうなのかわからない。
11年前の津波を忘れたという人はいないが、それでも東京の人間からすればわが身に降りかかったことではない。
それが何千キロも離れた日本各地に津波という形でやってきて、改めて驚いたというのがほとんどの人の実感ではないか。
避難を余儀なくされて、寝られなかったという人も多かったのだろう。
それでも、一人の犠牲者もなかったのは、津波が小さかったということと、前回の教訓があったからだろう。
そして、今日はあの阪神大震災から27年目である。
「教訓」と言っても、それは一人一人の中に常になければ意味がない。
そうなったらむしろそれは、習慣というべきものだろう。
今やマスクと手洗いが習慣になった観がある。
と言いながら、コロナ禍が終息すればみなそんなことは忘れるだろう。
そのころには、すでに歴史というべきものになっているのだろう。
結局歴史とは、人々の命の叫びということにほかならないと気づくのである。