ミャンマーはいつビルマに戻るのか
2016/03/25
ビルマがミャンマーになり、ラングーンがヤンゴンという名称になったのは、1989年ということになっている。天安門事件の後らしい。「ビルマの竪琴」で馴染みの深い国が、なぜ名前を変えなければならなかったのか、私は知らない。知らないから、勝手な想像を描く。
そのミャンマーに民主政府が発足することになった。但し、アウンサン・スー・チーは憲法により大統領になれないのだという。外国籍の家族がいる人間は大統領にしないという条文があるのだという。なんだか狙い撃ちのような気がしないでもない。もともとイギリスの植民地であったところだから、イギリス人の大統領を懸念したのかもしれない。
ミャンマー&ヤンゴンという名称は、私にとっては軍政の名残のように聞こえてならない。誰かがビルマとかラングーンという名称はイギリスの植民地時代のものだからやめてくれと言ったのかもしれないが、そういう話を聞いたことがない。ラングーンといって思い出されるのが、北朝鮮の謀略によって引き起こされた、いわゆるラングーン事件だが、そういうことが起こって縁起が悪いから名前を変えて、しかも首都もやめるということになったわけでもあるまい。
ミャンマーに行ったことはないが、タイには行ったことがある。そのタイでは歴史を紹介するところで、「ビルマ族による侵略を受けていた」という記載がある。今では「ミャンマー族」に書き直されているかもしれないが、20年前はそう書いてあった。さらに言えば、いまでも海外のテレビではビルマと呼んでいる。もしかしたら、ミャンマーと呼んでいるのは日本ぐらいのものかもしれない。
民主化政権が誕生したという。そして、スー・チー氏が4つの大臣を兼務するという。「大統領より上の立場になる」と述べているそうだから、たぶん大統領などへとも思わないのだろう。本当は、大臣4つなどと言わず、すべてをわがものにしたかったのではないかという気もする。それは、人材不足であるということの裏返しでもある。と同時に、民主主義を自ら踏みにじる行為ともいえる。あくまで、閣僚は大統領の下にいるべき立場である。そういう目で見ると、この「民主化」はとても危うい。
国軍というものがいるために、憲法を変えることもできず、したがってスー・チー氏も大統領になれないのだという。民主化というものが本当のものになるのであれば、政治の世界にこの国軍というものを入れない体制を作らなければならない。そして同様に、国軍が改称したミャンマーという名称をビルマに戻すことであるとも思うのだが、はたしてそういう日は来るのだろうか。
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