応神天皇の正体
2016/11/18
古代の王朝は崇神天皇、仁徳天皇(あるいは応神天皇)、継体天皇の3人を始祖とする3つの王朝に別れるのだという。このうち、崇神天皇と応神天皇、そして神武天皇の事跡は非常に似通っている為、3人は一人のモデルから作られたのではないかといわれているそうである。
このうち、仁徳天皇の父親である応神天皇は従って、実在したかどうかが怪しまれているのだという。応神天皇の5代の末であると唱して即位した継体天皇の創作ではないのかというのが現在の考え方のようだ。
これに対して筆者は、応神天皇は神宮皇后と武内宿禰との子供である。彼らの周りに朝鮮人がたくさんいるのは、朝鮮に盛んに出兵していたせいであろう。武内宿禰はアメノヒボコである。彼らは大和政権の中の勢力争いに破れて九州まで落ち延びた後、再び大和に入るのだという。これが神武東征と同じような足取りになるのだという。
中臣鎌足を百済の王子だと考える筆者は、日本書紀を書かせた藤原不比等が、新羅系であるアメノヒボコの子孫の正体を隠蔽する為にわざとその事跡を判りにくく書いたのだろうと述べる。
あくまでも、作家の考え方であり、実際にどうだったのかということは、はっきりしないのは確かだろう。古代のことは資料が少ないので分かりにくいから、いくらでも空想ができるともいえる。全てが明らかになることは、おそらくないのだろう。
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