大西郷という虚像
2017/06/28
西郷隆盛という人は江戸幕府を転覆させた最大の立役者と考えられている。しかし、彼は2度政府を転覆しようとして1度は成功し、2度目に敗死した。官から賊に転落したのである。そしてその12年後に再び官に復帰する。そこには薩長閥政府という背景があったからである。同時に、西郷隆盛という人物像も薩長政府によって造りかえられたのではないかというのが筆者の言わんとするところである。
西郷の人物像として、薩摩藩の友人評は、「度量が狭い」、「頑迷」、「一度人を恨むとずっとうらみ続ける」、「執念深い」、「好き嫌いが激しい」、「好戦的で策略がすき」というようなものであるそうだ。「大西郷」という人物とは思えない評価である。
彼が統幕で果たした最大のポイントは、小御所会議における「短刀一本あればかたがつく」という言葉であろうか。このあたりは周囲の人物評と一致するようなところである。だが、江戸城無血開城など、それ以外に彼の歴史上の行動から同じようなことが感じられない。
明治政府という名の薩長政府は、革命ではなくクーデターで徳川幕府から政権を簒奪し、それを自らの私腹を肥やすために使ったではないかというのが筆者の言うところである。そして、それは司馬遼太郎が書いた「明治維新は純粋なもの」という評価とは真逆のものである。よくある、前政権を貶めることで自らの正当性を証明するということをやったということであろう。
しかし、西郷の評価を覆すという本書の命題はどこかあいまいであるように感じる。西南戦争にいたる段でも、従来の説明から出るところがない。結局、「倒幕の立役者が、なぜ西南戦争で無為無策の中死んだのか」ということに関する答えはないようである。
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