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応仁の乱

2018/01/12

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100年前の人が、「日本の歴史は応仁の乱以降を知っていればいい」と言ったそうである。つまり、それが我々に直結している歴史であり、それ以前は同じ日本でもほとんどわれわれとは関係のないほど遠い昔の話であるということらしい。確かに、古代より続いた価値観が変わった時代だったと言えるのだろう。

一言に応仁の乱と言っても、将軍家の跡取り問題、畠山家の跡目問題、管領家細川と新興大名山名との争いなど、多面的なものでありそれが複雑に絡み合って長期間決着がつけられなかった。それが守護大名や寺社の権限をはく奪して、土豪や地侍のような人たちと彼らの領主との関係を壊していったのだろう。

筆者はまた、応仁の乱は第一次世界大戦に似ているとも書いている。無定見に戦線を拡大し、出口戦略がなかったという点。新興勢力と既成との戦い。そして、勝者なく全体が疲弊した点。ヨーロッパはこののちアメリカに世界の覇権を奪われたが、日本の場合は、守護や将軍からもっと下の階層が実権を握って行った。もしもどこかに乱不参加の勢力がいたとすれば、その勢力が日本を掌握していたかもしれない;

この乱の中で、一人の主役を探すなら、畠山義就ということになるようである。彼の働きは乱を通じて華やかであったように見える。その一方で、彼がいなければ乱もここまで長引いたり拡大もしなかったのではないかとも思われる。結局は騒ぎと混乱を長引かせただけの人だったという評価にしかならないようである。

 

 

 

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