親の意見となすびの花は千に一つも無駄がない
2020/10/18
新聞のクロスワードにそんなことわざが載っていた。
親としての自分たちの意見にどれだけ意味があるのかわからない。
それよりなすびの花だ。
今年は春からナスの木をベランダで育ててている。
我が家では、「焼きナスは嫁に食わすな」とか言いながら、ナスをいただいている。
家内の父親は、「ナスは野菜の王様だ」とおっしゃる。
ナスはみんなが好きな野菜だということだ。
そこで、「なすびの花」である。
10月の中頃の今でも紫の可憐な花が咲いている。
これが結構美しい。
野菜の花で最も美しいと思うのは、なんといってもオクラであろう。
あの黄色い花は、実をとるための植物か、花を見るためのための植物かと思う。
むしろ、どうしてこれが園芸用植物にならないのか不思議である。
トマトの黄色い花も美しい。
ミョウガの花も、フクジュソウに匹敵するものがある。
さらに、シソの白い花はこれが花畑なら話題になるだろうというほど美しい。
花は、それを美しいと見れば皆美しい。
相撲の締め込みに、「なすこん」という色が使われることがある。
ナスの紺色ということなのだろうと思うが、すべての説明になすの実の色と書いてある。
ただ、ナスの実は黒に近い感じがして、「なすこん」にはなすの花の方が色としては近い気がする。
ナスの実は、この紫の皮の部分にポリフェノールが含まれているという。
ところがというべきか、焼きナスではわざわざこの皮をむいていただくことがある。
ロースターで焼いて皮をむいて中身にポン酢をつけていただくと、これがまたうまい。
「やきなすはよめにくわせるな」というゆえんである。
それはそれとして、うちのナスである。
4月か5月から育てているが未だに2個しか実がなっていない。
1000に1つも無駄がないというが、1000に1つか2つしかなっていないのではないか。
親の言葉というか、天の言葉というか、ことわざにも嘘はあるということだろう。