あそこのマンションのアジサイ
2022/05/29
この近辺を散歩していると、いろいろなマンションの植栽と出会う。
何年も同じところを歩いていると、あそこにはあの花があったということを自然に覚えるものだ。
今日も、あそこのマンションのアジサイが今年はまだだったなんてことを思い出す。
マンションの植栽なんて頻繁に交換しているから、すでにないかもしれないとも思う。
実際にはそこのアジサイは交換されることなくそのまま植わっていて、ちょうど花がつき始めたところだった。
新しい街を歩くと、今までに見たこともないような植物にお目にかかることもある。
一方、普段歩いているところは、次第にどこに何があるのかという知識が蓄えられる。
花は、咲いてこそ花であり、桜の木だろうと松の木だろうと、花がなければ大差がない。
花が咲いているからそこにその木があるということに気が付くのであり、花はそう主張する。
人はきれいな花を人工的に作ってきた。
一方、花の方は人間に育ててもらおうと、きれいになるように遺伝子を換えてきた。
あそこのマンションに行けばあの花が咲いているという知識も、花の遺伝子が私を操っているということだろうか。