8月や6日9日15日
2022/08/05
先日の新聞に、この「8月や6日9日15日」が載っていた。
長崎出身の広島の医師が読んだ句であると書いてある。
同時に、ほかにも書いた人がいるとも。
つまり、日本人の感覚は6日と9日の原爆の日と15日の終戦の日に集約される。
それは、記念式典が執り行われ、記憶に残るからであろうし、テレビ番組も組まれる。
もちろん、戦後生まれの私はこれらの日々を知らない。
むしろ、これらの日々を自分のものとしている人はごく少数になりつつある。
決して忘れてはならないといっても、次第に叡山の焼き討ちや応仁の乱と同じようなものになりつつあるのではないか。
どんなひどい事でも、時間がたち、実際に経験した人がいなくなれば、その記憶が薄れていく。
その記憶が薄れたころに、ウクライナ戦争が起こった。
第2次大戦がどれほどひどいものだったかをロシア人も忘れてしまったようだ。
忘れてまた同じ過ちを繰り返す。
それを忘れまいとするのは、人の努力と忍耐によるものだろう。
6日は広島の日であった。
相変わらずセミが鳴いていた。