去年今年貫く棒の如きもの
2025/12/20
12月も20日になると、いつも思い出す句がある。
それが高浜虚子のこの句だ。
そして、じゃあこの「棒」って何なんだろうといつも同じように感じる。
実はこの「棒」にはいろいろな解釈があると出ている。
非常な時間の流れ、俳句に対する確固たる思い、自分の中の変わらぬ信念、などなど。
70代の句ということで、女性がらみの悩みなどではないようではある。
そういう話であれば、実はあの頃こんなことがあってという解説があっただろう。
ただ、そうであってもなくても、この「棒」がいいもののようには感じられない。
私には、のどに棒を突っ込まれているような感覚ではないのかと思えてしまう。
足掛け2年の懸案があって、それが年を開けてもぬぐえないというような。
この時期の懸案といえば、なんといっても年賀状で、早くやらねばと思いつつ、一向に始まらない。
結局来年になってやっと出すという人もいそうである。
早くやれって話だな。