本籍って何のためにあるのか
2020/09/06
戸籍謄本を取ってくれと言われた。
実家においてあるので、取りに行こうと思えば行けるが、それだけのために行くのも時間の無駄である。
かつて、うちの本籍は北九州にあったと聞いている。
戦前、たまたま移り住んだところに本籍を移してから変えていなかったのだそうだ。
家すらないかもしれないところに「本籍」なるものがあるという人は多そうである。
これを見れば、本籍というものは大切なもののようでありまたどうでもいいもののようにも見える。
私の父はすぐによそに移り住んだと聞いている。
にもかかわらず、両親はその地をその後30年以上本籍として使っていた。
つまり、いったん本籍地を定めると、転居してもこれを変更しない。
本籍地を変えるということは結婚や離婚をするのと同じぐらい重いもののようである。
戸籍というものは、国が地方自治体に委託してそれを国が統括するという格好を取ってきた。
謄本には、出生から転居結婚死亡までその人の公的な記録が記される。
その作業は地方自治体の大きな役割でもあったのだろう。
いわゆる間接統治のようにも見えるし、それは地方自治体の一つの権利ともとれる。
人を管理しているからその存在意義が高いのだという自負もあるのかもしれない。
マイナンバーカードはこれを覆すもののように見える。
これがあれば、個人に関する公的な記録を国で管理できる。
一々本籍地に出向く必要もないし、郵便による謄本の請求をする必要もないはずである。
果たしてそのようになるのかならないのか。
そこに国と地方との綱引きがあるような気がするのだが、どうなのだろう。