近衛秀麿
2021/03/21
昨年見送られた春のセンバツ高校野球が開催された。
誠に喜ばしい限りである。
今回も多くの好試合が繰り広げられるのだろうと期待している。
天理高校のピッチャーがいい。
達選手とかいった。
ことしのドラフト会議の目玉になる、かもしれない。
その校歌が流れる際に、作曲が近衛秀麿と書いてあった。
あの近衛文麿の弟である。
戦争がなければ、もう少し評価は高かったかもしれない。
そこで、近衛文麿である。
その孫が総理大臣になったとき、一言もその名前が出なかった、ということは何度か書いている。
私の知人で歴史に造詣の深いNも初耳だといった。
それほど細川護熙が総理大臣になったとき、どこのテレビ局も近衛文麿の名前を出さなかったし、いまだに出したところを見たことがない。
よほどその名前を出してほしくなかったものと思われる。
戦争の記憶がまだ今よりはるかに強く残っている時期である。
何年か前に亡くなった私の父も、文麿は大っ嫌いであった。
そういう空気が30年近く前にはもっと色濃くあったのだろうと思う。
そのため、放送局にはかん口令が敷かれたのではないかと思っている。
安倍ちゃんが総理になったときも、麻生ちゃんが総理になったときも、おじいさんの話題でもちきりだった。
岸信介も吉田茂も歴史に名を残した人であることは言を俟たない。
一方、近衛前久と細川藤孝を比べれば、やはり前久の方が立場は上だろう。
細川護貞と近衛文麿とは秘書官と総理大臣の関係である。
なぜその孫が「家来」ともいうべき秘書官の孫と言われるのか。
日本のマスコミは、歴史の中から近衛文麿を抹殺してしまいたいのだろうか。