平和と人道に対する罪
2021/04/05
先日テレビを見ていたら、「最後の朝鮮人BC級戦犯の李鶴来さん」のことをやっていた。
この人は捕虜虐待の咎で死刑宣告がなされたという話である。
平和と人道に対する罪というやつである。
これが日本人であれば、戦後補償を受けられたのだが、すでに外国人になっていた彼にはそれが適応されなかった。
本来は韓国政府がやるべきだが、そういう気の毒な方に対して、何とか生きているうちに補償をしてあげたかったという関係者の声が流れた。
平和と人道に対する罪については、しばしば事後法で法的効力がないという話を聞く。
日本人を死刑にするために、後付けで作ったものにしか思えない。
この名前がわずかに聞こえたのが、ユーゴ内戦のミロシェビッチ氏に対するものであった。
この裁判にしても2006年に本人の死亡によって終了になっているので、結局判決は出ていない。
いかに東京裁判が・・・・・とは言わない。
ミャンマーの軍事政権がすでに数百人の国民を殺しているといわれる。
中国でもウィグル人に対しての弾圧を行い、アメリカは虐殺と認定している。
これらは国内問題として、国連や他国からの干渉は受けないという主張である。
だが、こういうものこそ平和と人道に対する罪ではないのか。
自国民を好き勝手に国家が殺戮できるのであれば、何のための平和と人道なのだろうか。
結局、「平和と人道に対する罪」を問われるのは、戦争で負けた人しかいないということになるようである。