国名を変えるということ
2023/09/10
モディ首相がインドを「バーラト」という名称に国名を変えたいといっているそうだ。
なんでも、ヒンディー語でのこの国の名前なのだそうだ。
ヒンディー語とヒンズー教とどういう関係なのかわからない。
ただ、インドという国名は本当は違うということだったのかもしれない。
思うに、国名を変えた国は結構ある。
ビルマがミャンマーに変えた。
セイロンがスリランカになった。
コンゴがザイールになった。
「キンシャサの奇跡」といわれた、モハメド・アリがジョージ・フォアマンを倒した試合。
この時はすでにザイールであった。
これらの国が、どういう理由で国名を変更したのかよく知らない。
日本のような国でなければ、トップがちょっとした気まぐれを起こしたら、そういうことができるのか。
「日本」という国名は、大宝律令によって定められたのだという話は、後輩の波多野氏から聞いた。
だからというわけでもないが、もしも今日本をやめて別の国名にすると言ったら、ほとんどの日本人は反対するだろう。
そう思うと、国名を変えようという国は、植民地時代に勝手につけられた名前を捨てるということなのか。
日本だって、GHQにジャパンという名称に変えられたなら、当然日本に戻したいと思っただろう。
ただし、200年も300年もたっていたらそこまでの欲求はあったか。
何かを変えるということは、為政者にとっては魅力的なことだろう。
もし私がそういう立場に立って、日本の何かを変えてもいいといわれたら、何をかえようか。