ゲノム裁判 ヒト遺伝子はだれのものか

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ゲノム裁判 ヒト遺伝子はだれのものか

2024/05/02

過去、人の体から得られたさまざまの物質には特許が与えられてきた。

古くはアドレナリンであり、最近ではこれが遺伝子ということになっていた。

だが、人が備え持つ物質を発見した人が、それを自身だけのものとしていいのか。

たとえば、初めて人の心臓を発見した人にライセンスは与えられるのか、という疑問である。

しかし、アドレナリン以来、これは慣習化され、特許が認められてきた。

それはおかしいのではないか、そう考えた人たちが、裁判に訴えてこれを覆したという話である。

一審のスイート判事は、原告勝訴の判決を出した。

2審となる「特許裁判所」では逆に、被告勝訴となる。

最高裁まで争われた本件は、DNAの一部分にどのようは機能があるのかという点を明らかにしただけで特許として認めるのはおかしいと判断した。

これにより、ほぼ人の遺伝子が特許になるということはなくなり、様々な検査が安価に行われるようになったという。

研究を少しかじった私からすると、大変な思いをして発見したものに対して、特許という対価が支払われないというのは、インセンティブの面から言ってどうなのだろうかと思うところはある。

製薬会社がせっかく作った薬をすぐにまねされたのでは、せっかく巨額の投資をした意味がなくなる。

とはいえ、数千ドルという検査費用はそうおいそれと払えるものでもあるまい。

公共福祉に資するという点で言えば、この裁判は十分に意味のある勝利だったといえるだろう。

わが国では、薬価や検査の費用はほとんど国が定める。

しかも、安く。

それがない海外の製薬会社が日本の会社に比べて巨額の利益を上げ、時価総額が大きいのもうなずけるところである。

国が大学に多額の資金を投入して行った研究を、大学と企業とが活用してビジネスを展開する。

それがアメリカの一つのビジネスモデルとなっている。

遅ればせながら、日本でも同じことをやろうとし始めた。

数十年遅いが、何とか追いついてほしいと願うものである。