湯豆腐は命の果てのうすあかりか
2022/08/17
久保田万太郎だそうだ。
奥さん死に分かれ、さらに愛人も失った後の句だという。
愛人というと若い娘を思い浮かべるが、そうではなかろう。
今の暑い時期に湯豆腐など食べる気には到底なれない。
だが、冬の寒い日にいただく湯豆腐はおいしい。
一人ものの男にできる唯一の「料理」であるなら、なおさらだ。
湯豆腐なんてものをありがたがって食べる若い人はいまい。
でも、いろんなしつこい料理ばかりでは飽きる。
そのため、時々食べたくなるのだ。
そして、私はそこにたらをいれたくなる。
それじゃあたらチリじゃないかと言われるだろう。
世の中的にはそういうことになるが、それが我が家の「湯豆腐」なのだ。
ま、本来の湯豆腐は昆布だしのお湯で豆腐を茹でて、鰹節を入れたしょうゆだれで食べる。
ネギなどの薬味も加えて同じ鍋で温めるとは、沢村貞子さんの湯豆腐だ。
うちでそんな面倒なことは絶対にしないな。
万太郎も、きっとそんな面倒なことなんかしないで、もしかしたら昆布も入れなかったかもしれない。
そんなものを食べて、奥さんが作った湯豆腐はおいしかったなと、懐かしんだに違いない。