白河の関
2022/08/22
とうとう、深紅の大優勝旗が白河の関を超えた、という話。
第104回の全国高校野球大会で、仙台育英高校が優勝したのである。
太田幸司の三沢高校から始まった、(のかどうかも知らないが)50年以上前からの挑戦がやっと実った。
ということで、白河の関が突然クローズアップされた。
じゃあ、白河の関ってどこにあるのか。
調べてみれば、宇都宮から北側に40キロほど行ったところにある。
関東から東北に入る入口だから、まあそんなところだろう。
白河の関を世に知らしめたのが能因法師である。
「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」である。
この歌により、白河の関は有名になったという話がある。
一方、「能因も 草鞋だこには 気がつかず」という江戸時代の川柳がある。
平安時代、そんなに旅行ができたはずはない。
むしろ、耳学問として白河の関は遠いところにあるということしか知らなかったのではないか。
特に、京都にいる人である。
江戸から京都まで単純計算すれば12日でたどり着くという話がある。
沖田総司が中山道を通って16日で京都についたという記述もある。
ならば、江戸から白川までも、それと同じかもっと短時日でつくであろう。
となれば、1月かそこらで京都からついてしまう計算である。
それを半年かかってやっとたどり着いたって話は、どう考えても嘘っぱちだ。
むしろいかなかった人間でなければ書けないことだろう。
ということで、わらじだこの句が気に入っているのである。
と、ここまで書いてきていつも気になるのが在原業平である。
東国に旅したという伊勢物語がある。
業平橋というものがあるからには、やっぱり本当に来たのかもしれない。
でも、なぜこんなところに来たのだろう。
やはりこれも、京都の知識人が空想して書いたものなのではないか。
そんな気がする。
昨日、在原航平が勝ち星を挙げたそうだ。
どうでもいい話だが、彼は広陵高校だった。